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2026.02.17
川添ニュース
【川添スタッフ:3病棟師長】情熱のキャッチボール~野球から看護師へ~

野球とともに歩んできた情熱あふれる人生。そのなかで培い、大きく揺さぶられた価値観。さらには数々の人との縁の積み重ね。これらが現在の自分を形づくっているといいます。
「3歳くらいの時に、庭で近所のおじさんが広告紙を丸めて投げてくれたボールを、打ち返していた記憶があります。」と物心ついたときから野球に親しんでいた師長。当たり前のように野球が生活の中心となっていきました。
小学3年生で少年野球チームに入り、中学ではエースピッチャーとして県大会準優勝を経験。実力を認められ、私立の野球強豪高校へ特待生として進学しました。
しかし、全国各地から集まった心技体に秀でた仲間たちを目の当たりにし、練習初日にして自分の限界を感じたといいます。厳しい練習と寮での集団生活に耐えられず、退部や夜逃げする部員も少なくないなか、故郷から送り出してくれた両親を思い、必死に踏みとどまりました。この経験が、どんな状況でも逃げずに向き合う精神力を育てたといいます。
3年生の時には80人ほどいた部員の中からベンチ入りを果たしました。しかし、夏の甲子園予選でライバル校と初戦で当たると、惜しくも一回戦敗退。結果として、希望していた社会人野球への道も開けず、そのままの流れで大学へ進学しました。
大学でも野球を続けましたが、高校の時から痛めていた肘と肩が悪化し、思うようにプレーできなくなりました。それでも、仲間に支えられながら4年間続けることができました。野球人生の大きな目標を失った後、長男ということもあり帰郷。そこで、強豪の社会人野球チームを持つ病院に誘われたことが、医療の世界へ足を踏み入れる契機となります。情熱を注ぎ続けた野球が縁となり、現在の看護師の道に進むことになったのです。
入職前は、病院に対して暗くて汚いという先入観を持っていたそうです。けれども、実際に働く中で、先輩たちから看護師としての姿勢や人と向き合うことの大切さを教えられ、徐々に患者さんを中心に考えるようになりました。一年間、精神科で看護助手として経験を積んだ後、法人内の異動により内科、外科、急性期、ホスピス病棟などさまざまな現場を経験。そのなかでも、師長の人生観に最も大きな影響を与えたのがホスピスでの看護でした。
ある反社会的勢力の幹部であった入院患者さんは、当初こそ多くの人が見舞いに訪れましたが、病状悪化につれ誰も姿を見せなくなり、孤独の中で最期を迎えました。一方で、田舎から入院された高齢男性の患者さんは、腰の曲がった奥さんや子ども、孫たちが頻繁に訪れ、みんなに見守られ、そして惜しまれながら最期を迎えました。主治医の「人は生きてきたように死んでいく」という言葉と、これらの光景は、師長の人生観を変えました。家庭や地域とのつながりを大切にしながら生きること、そのために自分自身も無理なく働ける環境を選ぶことの大切さを感じ、当院への転職を決意したのでした。
精神科での経験はほとんどなかったものの、実際に働いてみると、病名は同じでも症状や背景は一人ひとり異なることを実感。その人に合わせた看護が必要であることにやりがいを感じたといいます。とくにストレスケア病棟では、患者さんに寄り添う看護が求められ、ホスピスで培った経験が今も活かされています。
この仕事をしていて良かったと感じるのは、「入院して良かった、ありがとうございました。」と患者さんが笑顔で退院されるとき。その言葉が日々の原動力になっています。
師長として日々心がけていることは、他職種との連携と、スタッフが働きやすい環境づくり。それは今後、急性期病棟を立ち上げるうえでも欠かせない要素だと考えているそうです。また、一人ひとりが考え主体的に行動してくれるスタッフの存在に日々助けられていること、尊敬できる仲間に恵まれたからこそ、看護師を続けてこられたと謙虚に語る姿が印象的でした。
休日には、家族、地域の人、職場の仲間と、山や海へ出かけ、バーベキューやおいしいお酒を楽しむのが師長のリフレッシュ方法だとか。先日は、他部署のスタッフと自宅でみかん狩りを楽しみ、その後バーベキューをしたそうです。現在は、仕事・家庭・地域とのバランスを大切にした働き方を実現できているといいます。
「多くの人に支えられているからこそ、人を支える仕事ができる。」その実感を胸に、師長は今日も病棟で、患者さんとスタッフに向き合い続けています。(M.M)
ご両親が営むみかん農園に当院スタッフや、そのご家族もお邪魔しました♡
皆でミカン狩り☆
みかん狩りの後は、師長宅で打ち上げです♡